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こう呟いています。彼の本を読んだことある方はよく見かけると思います。 とにかく与えて与えて与えることによって周囲に様々なものを与えた人が最終的に成功するという考えです。 ぼくも本当にその通りだなと思って出来るだけ与えよう与えようと生活を送ってきました。 でも最近ちょっとこれって違うんじゃないかな?って思うようになってきたんです。 今日はぼくがなぜそう思うのか、それでは今ぼくはどんな考えで過ごしているのかを書いていこうと思います。ギブアンドギブですね
— 堀江貴文(Takafumi Horie) (@takapon_jp) 2014年11月1日
先に与えること、先に与えることができることの大切さ – http://t.co/qmY6HkCgMw
Give&Giveの行動心理
Give&Giveってホリエモンとかが言うからにはやっぱり説得力ありますよね。それに実際顧客の行動心理としては理論的に間違っていないんですよ。 消費者心理を学んだことのある人は聞いたことがあるかもしれませんが、Give&Giveが適用される行動心理に「返報性の法則」というものがあります。「好意には好意で報いる」「受けた恩は必ず返す」「そっちがそう来るなら自分も・・」といった行動に見られる、もらいっぱなしの状態を居心地悪く感じる心理の事。お返しをせずには居られない心の状態。 (返報性の法則/消費者心理より引用)みなさんもこの感覚ありますよね?「ああ、なんか気にかけてもらったな。今度何かでお返ししなきゃ」とか、「奢ってもらっちゃった。次は自分が出そうかな」とか。 この原則は誠実であればあるほど大きく働きますね。ぼくも普段から恩返ししなきゃって精神で接する人は多いです。 誰もが無意識の内に思うような当たり前の原則です。返報性の法則を活かしてビジネスを飛躍させる人も多いです。 現に自分の知り合いの全国の営業所の中で成績1位の営業マンなんかはGive&Giveのレベルがビックリするほど高いです。頼んでもないのにやたらとこれ貰っていいの!?ってものまでくれます。この間は最新版のExcelとディスプレイ、なぜか監視カメラまでくれました(監視カメラ以外は重宝しています笑)。しかも何をお願いしても対応が早く、無償でどんどんサポートも付けてくれたりする。半端ないです。 で、そうされるとこちらも何か恩返ししようと新しい契約結んじゃったりしますよね。ここにも返報性の法則があります。 ただ、性悪説を前提に考えると返報性の法則はいとも簡単に崩れるのです。 与えて与えて与えて。与えれば与えるほど人は返報性の法則を無意識に期待します。「きっといつか何かが返ってくる」そう思ってしまうんです。これは仕方のないことです。 でも誰もが誠実さを持ち合わせているとは限りません。与え続けても何も返ってこないかもしれません。 だからこそ、「Give」という感覚を強く持つのは少し違うと思うんです。 これからは「Share」じゃないかなってぼくは思います。なぜぼくがそう思うのかこれから説明していきます。
「与える」という勝手な期待で消耗する
Giveが良くないと思う一番大きな理由は「期待」です。 先程も書いたように人間は与えることで無意識に返報性の法則に期待します。もちろんそうじゃない仏みたいな人もいるかもしれませんが、誰しもがそこまで出来た感覚を持ち合わせているわけがありません。 人間が精神的にまいってしまう瞬間とはなんなんでしょうか。- 「恋人に振られた時」
- 「友達に裏切られた時」
- 「上司に怒られた時」…etc
- 「愛を信じて期待するから、振られた時に落ち込む」
- 「友情を過信して期待するから、裏切られて落ち込む」
- 「自分はデキる人間だと期待するから、怒られた時に落ち込む」
では誰に対しても何も与えなければいいのか?そういう意味ではありません。ぼくらがすべきはGiveじゃない。本当にやるべきはShareなんです。 「Share」つまり「共有すること」。誰かに与えるわけではなく、共有するんです。
例えばあなたがたまたまジャケットを見てCDを買ったとしましょう。いわゆるジャケ買いです。そのCDは想像以上に好みの曲だらけでした。ファンになったあなたは他の人にも聞いてもらいたい!そう思うでしょう。 しかし購入したのはプログレッシブメタル系のマイナーバンド。あなたの周りにはJ-POPやロックバンドが大好きな人ばかりです。彼らにすすめても軽くあしらわれてしまいます。 そんな時に偶然プログレッシブメタルが好きな友人を見つけたあなた。きっとすぐにCDをすすめてその感動を分かち合うと思います。もちろん、その友人も曲を気に入ってくれました。これです。これが共有するということ。あなたが好きな人に対して、あなたの好きなものを共有する。それで良いんです。無理にロックバンド一筋の友人にその情報を与える必要はありません。 ぼくが推しているShareとはこの概念です。ここに返報性の法則は生まれません。「すすめられる→すすめられて喜ぶ→すすめた側も理解されて喜ぶ」それで良いと思います。 さらに言えば、あなたがShareするものや情報の価値をわかってくれている人だけという部分がミソです。これができれば無駄な期待も生みませんし、あなただけじゃなく相手も喜ぶWin-Winの関係が出来上がります。もちろん、喜びの強要をするようではただの期待になるのでそれだけは避けなければなりませんけどね。 あなたが価値あるなと思ったこと、良いなと思ったこと、誰かに体験してもらいたいなと思ったことを、あなたの好きな人だけ、好みが合う人にだけ、相手が欲しいと思っている時だけShareすればいい。これがぼくなりの消耗しないライフハックです。
Shareの精神に気づいたのはぼくが単純にGiveしすぎたなと感じたからです。要は人に期待をしすぎました。本当申し訳ないくらいにやってしまった…。
この記事もその例ですし、これ以外にも記事にはしていませんがいくつかあります。Giveしすぎるのって相手も自分も消耗するから本当良くないなって今は反省しています。 基本的には聞かれればだいたい答えるスタイルのぼくでしたが、それ以上に前のめりになってしまうのはダメですね。相手にも良くない。
こういった言葉の暴力性にも最近やっと気づきました。こんなのただの期待と傲慢の押し付けでしかありません。 これ以上Giveで消耗しないためにも、もう一度しっかりShareしたい人を見直し、行動していこうと思います。 人を変えるのって本当に難しい。結局その人が自身のタイミングで勝手に頑張って勝手に変わるだけなんですよね。 ただ、その1つの要因になれるようなShareが出来たらぼくは本望です。「好きな事だけして生きてけばいいじゃん?」
— ぶんた@起業家ブロガー (@__BUNTA__) 2016年10月21日
この言葉がどれだけ暴力的なのかを最近知った。
まず多くの人は好きな事を仕事に出来ないしそもそも自分の好きな事が何かを知らない。この言葉は劣等感と嫉妬の連鎖の中心にあるよね。
そんな人達を救える場所を作りたい。フラグ立てときます。