寂しがり屋だと思っていた僕が環境を変えて気づけたこと | いつまでもアフタースクール
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寂しがり屋だと思っていた僕が環境を変えて気づけたこと

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こんにちはぶんたです。

ぼくは以前から自分のことを寂しがり屋だと思っていました。

周りからもそう思われていたらしく、先々月東京から高知に移住する際も

「ぶんたのことだからどうせすぐ寂しくなって帰ってくるよ」

と言われたくらい。

正直ぼく自身もそんな予感は若干ありました。

 

で、実際はどうなのかというと自分でも驚きなのですが、案外そんなことはなかったんです。

これはきっと環境を変えたからこそ気づけたこと。

すごく簡単な勘違いでした。

もしかしたら同じ勘違いをしている人もいるかもしれないので記事にしておきます。

 

寂しいと感じた時のこと

ぼくが実際に寂しいと感じていた時のこと。

つまり東京にいた時のことを今思いだしてみました。

ただ、なんとなく先日1週間だけ東京に戻った時の方が、ハッキリと寂しいという感情を知ることができたのでその時のことを書いておきます。

 

寂しいと感じた時。つまり人と会いたいなと思った時。

ぼくの中にあるのは、

「せっかく会えるのだから会っておこう」

という感情でした。

「どうせご飯を食べるなら誰かと」

「どうせ飲むなら久しぶりにあいつと」

「どうせどこかに出かけるならあの人と」

このような「どうせなら1人ではなく、誰かと」という感情がぼくの寂しさの正体でした。

なんかこれって買ったモノを捨てられない時のもったいない精神に似てませんか?

 

ぼくにとって誰かと会うことは縁を繋ぎ止めるために必須なことだったんだと思います。

その縁が何の役に立つかはわからずとも。

 

今、寂しさの代わりにあるもの

そんな寂しさが高知に移住してからほぼ無くなりました。

最初はTwitterのタイムラインを見るのも少し辛かったんですが、今ではそこまででもありません。

というのも物理的に会えないので会うことで縁を繋ぐことはできないわけです。

だから、今まで持っていた寂しいという思いは驚くほどなくなったんです。

だって簡単に会えないし笑

 

じゃあ逆に今、寂しさの代わりにある感情は何かと言うと「自分の時間を生きていたい」ということ。

自分のペースで仕事をしたり、自分のペースでご飯を食べたり、自分のペースで勉強をしたり。

今後の自分との縁を繋ぐための時間が今のぼくにはたくさんあるんです。

 

僕は時間を埋めるために寂しくなっていたのかもしれない

また、こんなことも思いました。

 

ぼくは考える事が好きです。

よくいらないことまで考えてしまうこともあります。

もちろん自分のことから他人のことまで。

 

で、自分のことって正直余り考えたくないんですよね。

やっぱり怖いし、向き合うのって大変じゃないですか。

でも1人でいるとやっぱりどうしても考えてしまうのです。

 

そんな時、誰かと一緒にいることでぼくは自分について考える時間を止めることができたいたなと思います。

そのために誰かと一緒にいたいなとか、寂しいなって錯覚していたのかと。

言うなれば完全な自らの逃げですね。これはあまりよろしくない。

 

自分と向き合うのはやっぱり怖いですが、今の状況をぼくは嫌だななんてこれっぽっちも思っていません。

東京にいた時よりもやっぱり考える時間は増えました。

それでも不思議と「やっと向き合えたな」って思ったらなんだか嬉しくなったんです。

 

無意味に時間を過ごすより、自分の時間を生きるべき

今、ぼくは確実に精神が強くなっているなと肌で感じます。

東京にいた頃、飲み会が終わった帰りのタクシーで感じる虚しさと寂しさ。

あの感覚が今は全くありません。

 

ぼくの家はおかげさまでたくさんの人が来てくれてます。

だからこそ別れも何度もあるのですが、それも相まって耐性を付けてくれたのかも。

誰かがいなくなってもそんなに寂しいとは思わないんですよね。

それよりも「また会えるしな」って思うようになりました。

 

もしかしたら寂しいという感情はぼくにとってはただの無駄な感情だったのかなとも思います。

今は強制的に自分と向き合えて、自分のために使える時間がとても楽しく、大好きです。

日々自分のポテンシャルと向き合って、色んなことを考えられる時間がぼくは凄く嬉しいんです。

 

日々に寂しさを感じている人。

特に都心では多いかなって思います。

そういった人たちは寂しいという感情をもう少し切り分けて考えたり、一度ぼくみたいに環境を変えてみると新しい発見があるかもしれません。

自分の喜怒哀楽と向き合うことは自らのコントロールにもなり、今後の人生にも大きな影響が出てきます。

たまには生活を見つめ直して、今まで気づけなかった新しい自分に出会ってみませんか?