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ここ最近になってよく考えることがあります。
大人ってなんだろなーって。
めっちゃ哲学っぽい話になるんですけど、今日はその辺を少し掘り下げてみようと思います。
20歳という年齢では決められない
こういう話になると必ず出てくるのが、年齢の話題。
よくあるのが20歳という年齢を基準に考えた見方ですね。でもこれはちょっと違うとは思います。
20歳を越えていても、実家でぬくぬくと生活している大学2年生が大人だとは思えませんし、かと言って20歳で子どもも居てバリバリ高卒から働いていたとしても、大人って感じはしません。
20歳はタバコが吸えるようになって、お酒が飲めるようになって、ただそれだけなんですよね。別に大人だなって感覚は無いです。
社会に出ていない人だってまだまだ居ますし、社会に出たからと言って大人になるわけではありません。
じゃあ結局大人ってなんなんでしょうか。
ぼくはまだまだ大人にはなれていない気がする
ちょっと自分を振り返って話をしてみます。
「ぶんた君は大人だよねー」
これはぼくが昔からよく言われるワードのトップ3に入る言葉です。違う言い回しでも同じような意味合いでそう言われてきました。
でも別に自分が大人だという感覚はありません。そもそもこの言葉をかけられる時点で「大人だよねー(大人のぼくがそう思うんだから子どもの君にしては大人めいてると思うよ)」の裏返しだと思っています。
ぼくは幼少期から芸能界に入り、周りよりは確かに大人と接することの多い世界で育ってきました。
それは確かなんですが、周りに大人が多かっただけで、自分も大人になるのかと言うと全くもってそんな気はしません。そしてもちろんぼくは大人ではありません。
年齢でも環境でも大人を定義してくれる要素はありませんでした。
果たして本当の意味での大人ってなんなんでしょうか。
ぼくが大人だなって感じる人
じゃあちょっと周りを見てみようと、ぼくが「大人だなあ」と感じる人の特徴を挙げてみました。
- 人の為に我慢できる
- 優しい
- いつも落ち着いて構えている
- 最終的になんとかする
- 自分の役割をしっかりと実感している
うーん。イマイチ曖昧。
でも確かに大人だと思う人はこれら全てに当てはまってるんですよね。大人の基準ってやっぱり難しい。
考えれば考えるほどドツボにハマる大人という定義。
なかなか正解が出ません。
ぼくなりの大人の定義
考えても考えてもキリがないので大人の定義をぼくなりに決めてみました。
色々考えたのですが、これが一番しっくり来たので書いておきます。
ぼくの中の大人の定義は「誰かを守れる人である」こと。これかなって思います。
他人に構っていたら置いていかれる世の中で、そんな中でも自分以外の誰かを助けて守ってあげれるってだけですごいことだなって思うんです。
大人な人って余裕があって、自分だけじゃなく誰かを救える包容力を備えているんです。
「もしどうしようもなくダメになっても、きっとあの人なら守ってくれる」そう他人から思われる人は大人なんでしょうね、きっと。
と、一応上げたは見たものの、これが正解だとも言い切れません。
きっと簡単な定義は無くて、みんな誰かにとっての大人であり、誰かにとっての子どもなんだと思います。
考えれば考えるほど泥沼にハマる大人の定義。ここまで哲学的なことも珍しい。
ぼくとしてはこのブログタイトルが「いつまでもアフタースクール」の間はまだまだ子どもなので、赤子をあやすかの如く見守ってくれたら嬉しいです笑
みなさんにとっての大人はなんですか?
なんか今日はとりとめもない日記になりました。
ただ最近思っていたことをひたすら書いてくのも楽しいですね。
< p class=”p1″>書いてる内に思考が整理されることもあるし、何が正解ってものがないから人って面白い。