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ガチで6年ぶりくらいに泣いた。
よくわかんないけど今書かないと書けない気がしたので打ち上げも抜け出して海辺で1人ブログを書いています。
なぜかシャツ1枚で寒いけど心がだいぶホットなので良しとします。それでも2月の海はやっぱり冷える。
「まあ泣くわけねーだろな」
— ぶんた@マイナー仮想通貨をひたすら買うブログ (@__BUNTA__) 2018年3月2日
とか思ってたのにガチで6年ぶりくらいに涙を流してしまってもう何を話しても涙が出るのでいつもの海辺に逃げてきたコミュ障です。
こんなに人の悩みや葛藤に正面から向かい合った1ヶ月は生まれて初めてでした。
ありがとう。 pic.twitter.com/yC8c1vtRwD
何度かブログでも書いてる通り、2月は田舎フリーランス養成講座の講師とメンターを請け負って1ヶ月千葉は浜金谷にいました。
講師はまあフリーランスとしてのスキルを教えるって認識で合ってるんだけど、じゃあメンターは何やるの?って話だと思うので少し説明しておきます。
一言で言えばメンターは受講生それぞれのサポートが仕事です。
心の安定、体の安定含め、結果を出したり目標を達成するためにいるのがメンター。
僕は4人の受講生を見ていました。
目次
自分で言うのもアレですが、僕は自分のことを結果を出せる人間だと思っています。
これは高校中退して独立して必死にやってきたからってのが大きいんだけど。
社会は残酷にもみんなに平等で、年齢も経歴もスキルも関係なく「結果」を求めて来ました。
そんな中結果を追い求めて必死に頑張って来たからこそ僕は生きてこれたと思います。
夢にだって出てきた目の前の問題解決。
結果を追い求める資本主義。
こうした生活を続けてきたから「感情を押し殺す」というスキルが板についてしまって。
周りからもサイコパスでしょ?と言われるくらいには結果を求め非情を歩んで来た人生でした。
だからこそ、今回のいなフリでも目標達成に重点をおいたメンバーを見ることになり、そうやって采配してもらえました。
「まあ余裕でしょ。自分がやってきた通りに管理させれば良いんだから」
そう思い臨んだいなフリはびっくりするくらい難しく、そして毎日悩まされました。
結果主義の葛藤に悩まされた1週目
「なんでこの人たちはこんなに悩んでるんだろうか?」
正直な1週目の感想です。
言ってることや悩みはわかる。
ただ、本質的な意味で理解ができない。
それに対する解決策を示して「やればいいんですよ」と煽ってもできない人がいる。
きっと「悩み」と「解決」の狭間にそもそも行動できない理由があって。
この理由ってどうしてもメンタルベースなものが大きく、これが人によって全然違うんですよね。もちろん解決策も。
そんな状況を打破するためにメンターはいると思うんです。
ただ、僕には強く「悩みの洗い出しと解決」という一連の流れが染み付いてしまっていたので、そもそも彼らが本質的にはどこで悩んでいるのか、マジでわかりませんでした。
「自信がないから行動できない」
「だったらそんなの気にせず行動すればいいんじゃない?」
これができれば誰だって苦労しませんよね。
僕だって回数を重ねてるからできるだけであって、彼らにとっては初めての経験なんです。
それに僕が社会に出てきた時の感情や取っ掛かりを思い出すにはだいぶ時間が経ち過ぎていました。
5年前の細かな感情描写を思い出そうにも、靄がかかってしまって。
きっとそこに彼らの悩み解決のヒントがあるというのに。
受講生を個別に呼んで話したり、何度も周りのメンター経験者に話を聞いても、僕の中でしっくりと来る結論はありませんでした。
講座の進め方に悩んだ2週目
そんな状態でも田舎フリーランス養成講座は続きます。
1週目では基礎的なスキルや知識についてを教え、2週目はさらに深掘りをした講座を行います。
僕はブログ・アフィリエイト・SNSについての講座がメインで、実際に講座資料を作って挑みました。
説明してる姿をシュミレーションし、推敲を重ねながら出来上がった資料。
自分でもわかりやすくできたはずと思って臨んだ講座は想像以上に苦戦しました。
楽しい作業というよりは大変な作業であるという部分にフォーカスしてしまって。
現実を見せることはできたかもしれないけど、それが彼らにとって一概に良かったのかはわかりません。
僕の講座を受けてより一層アフィリエイトへの苦手意識を作ってしまった受講生もいましたし、人に伝える・教えるというのは本当に難しいなと実感しました。
ブログでは見えない誰かに記事を書いているからある意味気持ち的には楽なんですよね。
「伝えたいけれど最悪伝わらなくてもいい」
そんなゆるい気持ちで書いていたけど、目の前に人がいるとたちまちそんな感情を持つことはできなくなる。
「良いプレイヤーが良い指導者とは限らない」
いなフリが始まる前に読んだ本に書いてあった言葉が何度もフラッシュバックしました。
受講生の悩みと自分自身に向かい合った3週目
田舎フリーランス養成講座は平日5日間の講座&作業日+土日2日の休み、計4週間で構成されています。
2週目が終わり折り返し地点に差し掛かろうとしている3週目が始まる直前の日曜日。
僕がメンターを担当している受講生がこんなブログを書いていました。
涙の理由は、「当たり前」の「有難さ」
彼はプロブロガーを目指すロックで優しい男の子で、偶然にも僕と同い年の大学生です。あだ名はシュガー。
いなフリ1週目は自分と向き合う時間に、2週目は向き合った結果を具体化していく週間。
そうアドバイスしていてしっかりと成果を出してくる、そして自分で考えて答えを出す彼を見て僕は「このまま続ければ絶対に成功するだろうな」と思っていました。
そんな彼がさっき上げたような感情豊かなブログを書いているわけです。
きっと悔しさや不安、様々な葛藤があってこの文章を書いたはず。
不安や悩みを聞いてアドバイスしていても、それでも解消しきれない気持ちがあることに僕は気づけていませんでした。
この記事を読んで、
「俺、本当にシュガーのメンターとしてちゃんとアドバイスできてるのかな」
「シュガーがどこかで挫けないように俺にできることって何だろう」
こんな風に悩んで悩んで結局答えは出せずに、3週目を迎えました。
3週目ともなるとある程度作業や流れも決まってきて、目標が明確になっている受講生はひたすらそれを達成するための作業をしていました。
「何とかして達成させてあげなくては!」
そう思い、質問やフィードバックもかなり厳し目の返しをするようになり、特にメンターを担当している受講生のスケジュール管理は人によっては30分単位でかなり細かくマネジメントしました。
1週目は行動の障害になっていた感覚的な悩みも、徐々にみんな受け入れすぐに行動できるようにはなっていました。
ただそれでもまだ動けない人もいて、どうすればそんな状態でも動き出すことができるのか?ボトルネックは結局何なのか?という課題を毎日ひたすら考えました。
全体の統括をされていた松さんとは夜中まで語り合った日もあるくらい。
きっととにかく時間を費やして向き合えばいつか解決策は出るはずと思いながらめげずに色んなことを考え検証しました。
しかし、それでも解決できなかった事件がこの後起こります。
ぽっかりと穴が空いてしまった4週目
受講生の1人が実家に帰ってしまいました。
僕がメンターを担当していた受講生で、中々やりたいことが見えずに苦戦していた1人でした。
いつもなら、
「まあ帰ったら帰ったで自己責任だし、本人が決めたならそれで良いじゃん」
くらいで特に何のダメージも無かったかと思います。
実際今までそうでしたし、結果主義な僕は確実にそう考えるでしょう。
ただ、この3週間、自分以外の誰かの悩みや葛藤に死ぬほど向かい合い、自分のこと以上に時間を費やしてきたからこそ、今回の出来事は想像以上に自分の感情を揺さぶりました。
「何がダメだったんだろう?」
「彼のためにどうすればよかったんだろう?」
「あの時のアドバイスが間違えたんだろうか…」
毎秒毎秒色々な思いが出てきて、どうすればいいかわからなくなって。
僕は4週目の間あまり作業スペースにいることがありませんでした。
今までは毎日ずっといたのに、自分の中で整理がつかず、答えを出すためにひたすら1人で散歩ばかりしていました。
今の状態で受講生に半端なアドバイスをしてしまって、そんな状態でまた悪影響を及ぼしてしまう方がマズイ。
そう思った僕の行動はある意味「逃げ」だったとは思います。
それでもその時の自分は目の前の問題を解決できずに逃げたいと思って逃げました。
この辺りで初めて気づいたんですよね。
「ああ、みんなこういう気持ちだったんだな」って。
悩みと解決策が明確なのに行動できない、それ以前の本質的な悩みを解決できない。
そんな彼らを見て全く理解できなかった1週目とは打って変わって、皮肉にも4週目の僕が彼らと同じような状況だったんです。
答えは出ないし、出したいとも思わなかった。
こんな状態だったので、いなフリ最後の週は最低限のアドバイスと軌道修正だけをして。
黙々と頑張っている受講生をただただ時間が過ぎるように見守っていました。
いなフリ最終日。溜め込んでいたものが全部出た。
そんな状態で迎えた最終日。
この日は受講生みんなの事業計画の発表と修了パーティでした。
昼食はピクニックに行きみんなで過ごしていると、実家に帰ってしまった受講生が現れました。
何を言っていいかわからずとりあえず出た言葉は「おかえり」。
それで良かったのかはわからないけど、でもこれしか出てこなかったんですよね。
自分の中でまだまとまってなくて。
その後、残りの事業計画発表を終え、なんとなーくそわそわしながら修了パーティの準備。
相変わらず受講生と何話していいかわからなかったので買い出しとか行ったり…
「こんな状態でどうやって迎えようかな…」
と思っていたらあっという間に19時半になってパーティが始まりました。
…とは言え、結局何を話せば良いのかわからなくて、ひたすらみんなの写真を撮って、みんながいないところに避難して即席の振り返りムービーを作ったり。
今思えばこういう時絶対話した方が良かったよなーとは頭では理解できるのですが、どうにも感情がついてこなくて…。
ちょうど振り返りムービーが出来上がった辺りで宴も終わりへと向かい始めました。
みんなを集めて上映をして、そこからはメンターがそれぞれの受講生へ思いを話しながら色紙を渡す時間に。
僕はあえてなのか最後だったのですが、前に立つ直前までどうしよう何話そうって感じでうまく言葉はまとまってませんでした。
ただ、口を開くと案外伝えたいことはスラスラ出てきて。
ビシバシ厳しくやってきた中で、彼らが挫折してしまったらどうしようとか、しっかりとアドバイスできてるかななんて言う不安は一切出さないようにしていたのですが。
最後はどう思ってたかとか、本当に良かったとか、こんな時自分も不安だったとか。
そんな正直な気持ちとか隠してた気持ちとか、洗いざらい話していたら自然と涙が溢れてきました。
溢れるどころかもうボロボロです。
(え、うそ、こんなに涙って出るものなの?)
って内心本当驚いていて、うまく喋れないし、恥ずかしいし、みんな次の言葉を待ってこっち見てるし。
人前で泣いたのなんて6年ぶりくらい。
そのくらいこの1ヶ月、彼らの悩みや葛藤に向かい合って。
自分ができないことにひたすら悩んで。
正解なんて無いのはわかっていながら、何度も何度も計算して。
僕がメンターで良かったのかなと最後の最後までわからなくて。
それでも色々打ち明けたら最後には帰ってきてくれた彼も知らぬ間に号泣して何を言ってるかわからなくなってて。
ああ、「人と向き合う」ってこういうことを言うのかと涙を流しながら深く深く胸に刻みました。
最後まで答えは出なかった。でもそれが答えなんだと思う。
結局、最後まで答えは出なかったと思います。
あの時こうすれば良かったなみたいな後悔は山のようにありますし、とは言え時間を戻せたところでそれが正解とも限りません。
人と向き合うのって本当に難しいし、相手の人生に乗り移れば乗り移るほど、半端な答えは出したくない。
だからこそ真剣に考えるし、それでも間違えることだってある。
僕がメンターを担当させてもらった受講生の人たちだって、僕以外の正解があったかもしれない。
だからと言って、もうこんな仕事したくないかと言うとそれはまた別で。
ある意味答えが出ないからこそ楽しくて葛藤できて悩むことができて。
ビジネスにはここまで悩める機会は無いから、僕はまた必ず、いなフリの講師とメンターをやりたいなと思っています。
集合写真を終えた後にロボットみたいな池ちゃんがボソッと言っていた「この感動があるからやめられないんだよね」という言葉。
現代社会で薄くなってしまった「人と向き合える感動」を取り戻せる最高の1ヶ月間でした。
答えなんて人生の数だけあるんだから、出せなくても良いんです。
それぞれが自分と向き合うことが生きていくという悩みへの唯一の解決策だと思います。