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sowersという団体がある。
都留文科大学の目の前、大学生数人でカフェを経営している。
オーナーの黒澤さんは(みんなでやってるお店だから自分だけがオーナーじゃないと言い切る既に好青年感あり余る人。実際良い人過ぎてヤバい)、大学卒業後にこのカフェを立ち上げた。
「みんなで作り上げたカフェで、色んな人と交流が生まれたり、そういうきっかけ作りができたらなって思うんです」
笑顔で、ただ真剣に、そんなことを言う黒澤さんはやっぱりかっこいいなと思うし、だからこそ彼の元には学生が集まるのだろう。
魅力的な人間ってのはこういう人の事を言うんだなと思った。
そんな黒澤さんとひょんな事から繋がった僕は(とあるサロンの交流会で、泥酔して「テキーラ…」しか言えない僕を横目にお酒を飲んでいたらしい。当然憶えていない)、毎日のように彼のお店へと足を運んでいる。
現在14人で運営しているsowersは、毎日カフェに立つ人が変わるから通っても全く飽きない。
僕は田舎フリーランス養成講座の講師として、しばらくの間都留に滞在しているのだが、ちょうど糖質制限も相まってご飯の時間はみんなと一緒にいないようにしている。
そんな自ら孤独に足を踏み入れたような僕を暖かく受け入れてくれているのが、このカフェsowersだ。
運営メンバーは黒澤さん以外全員学生(たぶん)だが、フリーランスや独立開業などにも寛容で、視野が広く、僕が抱いていた大学生へのイメージが少し変わった。
もちろんsowersとして活動するのは在学中だけかもしれない。
それでも、そこで得た経験や繋がった人の言葉に真摯に耳を傾ける彼らは真剣そのものだった。
真剣にお店を運営しているのだ。
この感覚は適当なバイトでは培えないだろう。
そこにはとてもわかりやすい絶対的な壁がある。
社会規範という言葉を知っているだろうか?
この言葉を解説するには市場規範も同時に理解する必要がある。
あなたが友人からお土産を貰ったとしよう。
友人は「旅行先であなたの顔が思い浮かび、喜ばせたい思いでお土産を買った」はずだ。
これに対してあなたは、お礼と称してお金を渡さないだろう。
きっと別のどこかに行った時にお土産を買ってお返しをするはずだ。
この社会的な繋がりや関係性が社会規範。
逆に対価としてお金をやり取りするような、金銭的な繋がりを市場規範と言う。
ここまで説明すればわかるだろうが、普通のバイトや仕事はもちろん市場規範だ。
当然金銭が発生する事が前提で、仮に同じ時給ならその為にどれだけ頑張っている人も、怠けている人も時間の分だけお金が支払われる。
結果として従事者の気持ちはどう変わるかというと、インセンティブのような報酬体系、または本人のプライドがなければ、やる気ゲージはなだらかに減少していく。
しかし、社会規範ならどうだろうか?
社会的な繋がり、感謝や、人との出会い。
こうした金銭的価値として表せないものに価値を感じ、お金をベースに捉えない行動原理を持つと、従事者のやる気ゲージは逆に上がっていく。
これは彼らが行動により生まれる結果を「自分ごと化」しているからだ。
当然そんな感覚は通常のバイトでは養えない。
あくまでやりたいからやっていて、やりたくなければやらない。
至ってシンプルな行動原理かもしれないが、金銭が基準になってくるとこの原理は一瞬で崩れる。さまざまな思惑が働いて、当初頭に浮かんでいた理想像はガラガラと音を立て崩れていく。
それが現実で、それが社会で、それが生活するために不可欠だからだ。
だからこそ、社会規範が基準である彼らだからこそ「自分たちのやりたいこと」を主軸に考えられるのではないか。
その思考のおかげで、運営メンバーひとりひとりが、真剣にお店の事を考えてるのではないか。
僕は彼らと話しながらそんな事を思っていた。
そんな彼らと毎日のように話をしていて僕はひとつ大きな発見をした。
僕の中では大きな発見だったというだけで「なんだ、当たり前じゃないか」と思われるかもしれないが、それでも再確認するために書き連ねておく。
「もっと学生にも来てもらえるような居場所づくりがしたいんです」
別に安直な思いでもなんでもなく、ただ真剣にそう口にするメンバーさんがいた。
(何かできないだろうか)
この時、ふとそう思った。
それと同時に「これだ…!!!」とハッとした事がある。
僕は高知でNPOの運営に携わっているが、運転資金の数割は多くの方々からの寄附金で成り立っている。
ただそれでも経営はまだまだ赤字で、僕らはいかにして寄附金を集めるべきか日々奮闘している。
ビジネス畑の僕としては、きっとできるだろうと思っていたが、思った以上に苦戦しているというのが現状だ。
「悩みや問題を解決する事でお金が貰える」という市場規範、ビジネスの原則が寄附金集めには恐らく通用しない。
問題解決の対価では単なるサービス業になってしまうし、そういうわけにもいかないのだ。
そこで話は戻るが(何かできないだろうか)と思った次の瞬間、僕は別のことを考えていた。
(少しお金をかけたら解決できることもあるかもなあ。多少の金銭だったら力になれるだろうか)
(でもそれじゃ根本的な解決にはならないし、たぶん彼らはお金ではないんだろうな)
こんな風に思った時にピンときた。
もし、対価としてのお金ではなく、相手を応援する手段としてのお金の受け渡しなら成立する瞬間はあるのだろう、と。
親しい友人のクラウドファンディングがこれに近い。僕はプロジェクトがどうだろうと、親しい仲なら無条件で支援する。見返りは特に求めない。
寄附もきっとこの感覚を作ることが大切なんだと思う。
僕が普段から寄附しているNPOも「共感したから」という部分が大きいし、それに対して何かを求めたりする事もない。
ただ毎月数千円でも良いから何かの足しにと思って寄附をする。
このように熱意で人を動かすというのは社会規範で生きている人、つまり今回のsowersのような団体や、NPO法人、もしくは非営利の個人団体ではないと難しいと思った。
そもそも悩みが解決されたからお金を払う訳ではないのだ。
相手の思いに共感し、何かできないだろうかと考えた時の選択肢のひとつが「お金」なだけであって、別に「行動」や「時間」でも相手のためになるならいいわけで。
この「共感への行動」のひとつが寄附なんだろう。
それと同時に、自分は「誰かの相談に乗りたい」「色々な問題解決がしたい」訳ではないんだとも気づけた。
今までは割と満遍なく相談に乗ったりしていて、それに疲れてもう少し意識レベルの高い人の相談に優先的に乗るようになって、でもなんか違うなというモヤっとした思いがあった。
今回その点について言語化できて、言葉にすると「自分の好きな人の相談だけは全力で乗りたい」だった。
そうなんだ。当たり前のことだけどそもそも嫌いな人、苦手な人の相談に乗る必要は全くない。
市場規範ではもちろん別だが、社会規範の中では少なくともそんな事する必要はない。
「相談させてください!」という連絡を本当にたくさん頂くが、今までは内容が伴っていれば会ったこと無い人でも全員連絡を返していた。
良い事をした優越感に何となく浸りながら。
同時に「なんでこんな真剣に考えてるんだ?」という違和感も感じながら。
僕は別に器が大きくもないし、ぶっちゃけ小さい。
正直言って目の前の人だろうがどうなろうと知ったこっちゃないし、自分の好きな人だけが幸せで楽しく生きていればそれでいい。
こういう業界にいるとノブレスオブリージュの原則に従うのが当たり前な感覚になってしまう。
ただ、きっとそれは思考停止でしかなくて、そもそも赤の他人に時間を割く必要は全くない。
だったら自分の好きな人にだけ時間を使った方が有意義だ。納得できる。
ビジネスの世界、市場規範ならまだしも、プライベートでの時間まで自分自身に嘘をつく必要は全くないんだ。
大学生数人でカフェ経営してる子と話したんだけど、真剣にお店のこと考えてて「すげーな」と思ったし「何かできないかな」とも思った。
— ぶんた[別居なう]@株式会社ひざうら (@__BUNTA__) September 19, 2018
やはり人を動かすのは熱意。
NPOに寄附が集まるのもそれと同じ。
自分に協力できる事はなんだろうと考えさせられるし、ひとつの選択肢としてお金なのかなと。
たくさんの人に手を差し伸べるより好きな人の力に少しでもなれればいい。
自分が好きなのは問題解決ではなく、自分の好きな人たちの問題解決なんだ。
好きな人のためなら喜んで時間を割くし、意地でも思考するだろう。
だって好きなんだから。
それだけで十分じゃないか。
sowersはそんな事に気づくきっかけをくれた。
僕は一層sowersが好きになったし、きっとこれからもお世話になると思う。
こうしたメンバーがいるのも中心となっている黒澤さんの人的魅力によるものだろう。
起業や独立をする人は基本的に自分の中での社会規範で生きているし、その過程と手段でたまたまお金が絡んでくるだけであって、彼らの軸は自己実現だ。
自己実現欲求が強い人間はシンプルに魅力的で、そして強い。
だからみんな惹かれるし、好きになる。
そんな魅力的な人に集まった、魅力的な人たちに会うために、僕は今日もcafe sowersに向かう。
都留にいる期間も10日を切った。
Googleマップに「また必ず来たい場所」のラベルを貼って。
せめて、あと少しの間だけでも、自分の好きな場所で好きな人と話せる時間に。