老いと死に向き合うためにも | いつまでもアフタースクール
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老いと死に向き合うためにも

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こんにちはぶんたです。

今朝、桑田佳祐の「明日晴れるかな」が急に聴きたくなってiTunesミュージックで購入しました。

明日晴れるかな

明日晴れるかな

  • 桑田佳祐
  • J-Pop
  • ¥250
  • blank
  • provided courtesy of iTunes

「明日晴れるかな」と言えば山下智久さん主演の「プロポーズ大作戦」のテーマソングです。

まだ子役をやっていた時に「とりあえず勉強がてらドラマは片っ端から見る!」という習慣が付いていたのですが、中には別に面白くもなんともない22〜23時のドラマもあって、小学生のぼくとしてはただ単に眠くて拷問な曜日もありました。

 

しかし、「プロポーズ大作戦」は個人的に大好きで(というかまだ小さかったのもあってああいうミラクルな設定が好きだったんです笑)、当時はワクワクしながらテレビの前で待機していたのを覚えています。

 

大好きだった「プロポーズ大作戦」。

過去に戻って未来を変えるタイムスリップモノのドラマな訳ですが、「あの時こうしていたらなあ…」と思うたびに山下君の「ハレルヤチャンス!」が脳裏を過ぎります。

だからなんだという感じですが、今朝少しそんなことを思ったので思い出深かったテーマソングを買いました。

 

 


「俺ももうそんな長くねえからよ」

今年の初めに実家に顔を出した時、ぼくの祖父が笑いながらそんな言葉を口にしました。

うちの家系はワケあって両親の離婚とは別に、父方の家系とは絶縁しています。

 

ぼくの戸籍謄本を取るとぼくの父親とぼくの名前しか親族のところに載ってこないようなちょっと複雑な家庭です。家族も兄弟も親戚も多いのに笑

 

そんなぼくが起業する半年前、10年以上ぶりに祖父に会いました。

祖父はぼくの記憶の中、と言っても幼稚園児の頃が最後なのですが、当時の形相とは大違いで、痩せて細くなり、見てわかるくらい弱っている老人だったんです。

 

そこからしばらく事業が回るまでの数ヶ月、住まわせてもらったぼくは、この時初めてまともに、おじいちゃんという存在に触れ、昔ながらの考えを聞き、「ああ、なんかいいな」と感じました。

何が良いとかはわからないけど、こういった祖父と孫の触れ合いが本来あるべきものなんだなと実感したんです。

 

しばらくして、ちょうど当時兼務していたWEB制作会社の役員を退任すると同時にぼくは一人暮らしを始め、あまり祖父や祖母と会うこともなくなりました。

 

何か行事や誕生日などがある度に父親は「たまには顔出せよ」と連絡を入れてくれたのですが、ぼくがその期待に応えれるのは3回に1回くらいで、単純に忙しかったというのもありますが、実家に戻るためだけに1日を空けなくてはならないというのが、ぼくにとっては非生産的でどうしても乗り気にならなかったんです。

 

それでも年末年始は半日ほど顔を出したり、実家の近くでアポがあれば1,2時間でも顔を出すようにはしていてちょこちょこ会うようにはしていました。

そして日を追うごとに明らかに弱っていく祖父を見て、あまり考えたくない感情が過ぎるようになりました。

 

そんなぼくを見透かすかのように、諭すように、当たり前だとでも言うように、わかってるよとでも言うように、唐突に祖父は「俺ももう長くねえからよ」と口にしたんです。

ぼくは苦笑いをしながら言葉を濁すことしか、できませんでした。

 


「じいちゃん倒れて搬送された」

先日、父親が焦りながら連絡してきました。

診断結果は糖尿病とそれに付随する諸々の病気。

元々、病院嫌いの祖父は身体の不調があっても滅多なことがない限りに病院に通うことはありませんでした。

 

「それって…治るの?」

思わず咄嗟に口に出たその言葉も、

「糖尿病は治らない。たぶんこれからどんどん酷くなって他の病気も誘発していくと思う」

ぼくが本当に言いたかったことを遮るかのように父親はそう言いました。

 

本当ならもっと会っておけばよかった。

会えるうちに会えばよかったんだ。

そういった当たり前の後悔が出てくるのはぼくだけじゃなく、父親もそうだったんでしょう。

 

そこからは近いうちにお見舞いに行くという旨を連絡し、しっかりと予定を空けました。

年始に祖父が口にしたあの言葉が、予定調和だったかのように、しっかりと確実にぼくに「老いと死」を連想させました。

 

お見舞いに行くと時間を空けた当日。

ぼくは結局、お見舞いに行くことはありませんでした。

会っておきたいと思う反面、会いたくない後ろめたい気持ちがあったんです。

そしてあろうことかその気持ちの方が勝ってしまったんです。

心のどこかで「でもきっと大丈夫」と思い続けていたんです。

 

それから、父親から何度かまた催促の連絡があり、ぼくはその連絡を上手く躱して結局祖父のお見舞いに行くことはありませんでした。

 


そこからしばらくして父親から連絡がありました。

その連絡はいつもとは少し違いました。

 

祖父が倒れてから、歯止めを欠いたかのように父親の事業も上手くいかなくなり、それと同時に身体を壊した父親からの本音の弱音を唐突に伝えられました。

 

「老いって怖えな」

それまで弱音を吐くようなタイプじゃなかった父親から、たくさんの不安や焦りを聞かされ、ぼくはまたしても感情を誤魔化すかのように、言葉を濁しました。

 

ただ、今回ばかりは1つだけ違う思いがあったんです。

ちゃんと、向き合おう、と。老いと死にちゃんと向き合っていくべきだとこの時やっと思えました。
もう同じような後悔はしたくありませんでした。

 

そして、ぼくのそんな思いに応えるかのように、父親からまた連絡がありました。

 

「じいちゃん歩けなくなって倒れたって。それにもう、目があんまり見えないんだとさ」

祖父の病状が悪化しました。

 


そんなこんなでぼくは今日、やっと実家に向かっています。

実はうちの実家は春になるとちょっとしたニュースになるくらいのお花見の観光地の真ん前で、4月はずっと屋台が出てお祭り騒ぎです。

 

朝や昼はめちゃくちゃ混むし、駅から実家に行くだけで一苦労なので、夜中のうちに車で行こうと思っていたのですが…

最後の最後までチキっているぼくは、本当にどうしようもないですね。

 

そんなことを考えていたら朝になっていて、なんとなく「やっぱりちゃんと顔を出さなきゃな」と眠い目を擦りながら電車に乗っています。

 

祖父の目が本当に見えなくなってしまう前に。

しっかりと現実に向き合うためにも。