コミュニティを作りあげるということ、開拓者のジレンマ | いつまでもアフタースクール
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コミュニティを作りあげるということ、開拓者のジレンマ

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こんにちは起業家ブロガーのぶんたです。

突然ですが、みなさんはどんなコミュニティに属していますか?

明確に言葉にできる人は少ないと思いますが、それでも人間みな何かしらのコミュニティには属していると思います。

そんなコミュニティについて書いていきます。

 

コミュニティを作る開拓者とは

誰しもが必ず属しているコミュニティ。

会社、家族、友人。大規模なものから小規模なものまで色々ありますが必ずどんな人でもコミュニティに属しています。

コミュニティがあれば、必ず誰かが作り上げているものですね。

ここでは便宜上、開拓者と呼んでみようかと。

 

開拓者はゼロからイチを作り上げるスペシャリストです。

大規模なコミュニティから、小規模なものにコミュニティを独立させる人も開拓者だと思います。

彼らにはそれだけのバイタリティや類まれなる行動力、そしてカリスマ性が存在します。

多くの人間から支持される存在。それが開拓者だとぼくは思います。

 

しかし、不思議なことに彼らが居座るコミュニティは成立しません。

Appleが創設者のジョブズを追放したように、開拓者はコミュニティを作る側であり、管理する側ではないのです。

そこには開拓者特有のジレンマがあるとぼくは思います。

 

開拓者のジレンマ

コミュニティを作る際の原動力。それは1人ではできないことを、コミュニティにして周りの人間の力を借りることで成し遂げれる。ここに大きな力が働くからです。

開拓者は未来の当たり前を見据え、そこから逆算してコミュニティを築き上げていきます。

ほしいもの、成し遂げたい野望のため、必要な人材をかき集め、ビジョンを掲げ邁進するのです。

 

しかし、ある程度コミュニティが形成され初期の目標が達成されると、ここでは当初のコミュニティ形成とは違う問題が発生してきます。

開拓者は当然、現状のコミュニティには満足をせず、次の目標ややりたいことを掲げて、メンバーに共有していきます。強要とも言えるでしょうが。

この時、コミュニティと開拓者の間には大きなズレが生じるのです。

開拓者にとってはあくまで目標達成のためのコミュニティであり、コミュニティとしてはコミュニティを維持するための目標設定だからです。

 

例えば、開拓者の目標には必要じゃない人材がいるとします。

開拓者は簡単にコミュニティからその人材を除いていくでしょうが、コミュニティ側はそんな合理的にはなれないでしょう。

あくまでコミュニティを維持するのが先決であり、そのための目標設定ができないのであればコミュニティは崩壊するからです。

 

そして大きなことを成し遂げるには、当たり前のようにたくさんの人間が必要になります。

つまりコミュニティはどんどん肥大し、そして開拓者の意志はコミュニティの中ではどんどん小さなものとなっていきます。

やりたいことが大きくなり、コミュニティが増えていけば増えていくほど、相関して開拓者側のパワーは小さなものになっていきます。

最終的に自分が作り上げたコミュニティに実権を握られる、そんな開拓者も少なくありません。

 

コミュニティの成長に開拓者は必要か

「やりたいことができなくなった」

「前は良かったけれど、今はなんか違う」

そういったコミュニティが出来上がるのは必然のことなんです。

時代とともに、目標とともにコミュニティは進化し続け、最終的には開拓者の意見なんてものはなくなっているかもしれません。

実績を作った人、文化を形成した人は、ある程度出来上がったコミュニティからは淘汰される。そんなのは当たり前なんですよね。

 

ぼくも高校生の時、一期生の初代生徒会長として校則をゼロから作ったり、コミュニティ形成や文化形成をどんどん行いました。

それでもぼくが中退してからは手のひらを返したかのように、ぼくの立ち位置はなくなっていきました。

「作る側の人たちなんてのはそんなもんなんだよ。受け取る側は受け取る時だけ喜んで、合わなくなればすぐに貰った時の感覚を忘れてしまうんだ」

高校を退学してから2年後に、生徒会を担当してくれていた先生と連絡を取った時に言われた言葉です。本当にそのとおりだなとぼくは思いました。

 

そんなことがあってから、ぼくはあまりコミュニティを作り上げる側に立つことは少なくなりました。

仮に立つことがあっても、一線に立ち続ける気力はあまりありません。

これはぼくなりの処世術であり、コミュニティを開拓していく人たちの新たな一歩になるのではないかと思っています。

一度作り上げたコミュニティだけで勝負する必要は全くなく、むしろ大きくなりすぎてしまったコミュニティからは一線を引き、また新しいコミュニティの形成に従事すれば良いのです。

 

背負わなければいけない重荷

サンクコストという概念があります。

事業やプロダクトにガンガン時間とお金を投資すると、最初に立てていた計画通りの冷静な判断が下せなくなる、言わば「もったいない症候群」です。

一度苦労して作り上げたものや、時間をともにしたものに愛着が湧きすぎて、そこから離れられなくなってしまうんですよね。

 

しかし、作る側の人間にとって自分への甘えのような感情ほどいらないものはありません。

できないならできない。やれないならやれない。そう作り上げてしまったのなら無理に直さず、もう一度ゼロからやり直せばいい。

こういった感覚ができるようになって、初めて僕らは次のステップにのぼれるのではないでしょうか。

開拓者のジレンマは一生背負い続けるものなんです。