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こんにちはぶんたです。みなさんはトラウマってありますか?
ふとした時に思い出してテンションが下がったり、情緒不安定になったり、過去の経験から起因する精神的な痛み。思い出すとすごく辛い気持ちになりますよね。
もう何事にもやる気がなくなってしまったり、同じ事になってしまわないかと萎縮したりよくない停滞を呼び起こしかねません。
今でこそ鬱になったりしませんが、ぼくにも大きなトラウマがあります。
それは起業したが故に起こしてしまった「事件」であり、ぼくにとって最大の「失敗」であり、そしてどん底のぼくを奮い立たせる為の永遠の「起爆剤」でもありました。
今回はそんな二度と起こしたくないトラウマ、最大の失敗のお話。
目次
たくさんの経営者との出会い
起業したての頃から縁あってたくさんの経営者さんが気にかけてくださいました。
と、その前に「どうして経営者さんの知り合いがいるの?そもそもがそういう家系なんでしょ?」という方いるかもしれませんが、全然そんなことありません。社員の友達は社員、経営者の友達は経営者。これに尽きます。しっかり営業かけたり自発的に動けば必然的に話を交わすのは経営者な訳です。
やっぱり若いと目を引きますし、そもそも生徒会長が卒業一週間前に高校中退して起業なんてネタとして凄いウケるんですよね。
そんなこんなもありスタートから様々な経営者さんとお話することが出来ました。
そんな中、特にぼくに目をかけてくれたのが当時25歳のWEB系の若手社長さん。
この方がぼくの人生をありえない速度で加速させる起爆剤になるとは当時は全く考えていませんでした。
取締役として参画
毎日のようにビジネスの話をしようと誘われて二人でドライブに行きました。
この時のぼくは完全に若手社長さんの虜になっていました。
毎日大量の刺激が脳に入り、仕事ってこんなにも面白いのかと、そして世界にはこんなにも色々な可能性が広がっているんだと実感しました。
そんな生活が続いた起業3ヶ月後。
ぼくは若手社長さんの会社に取締役として参画することになりました。
WEBなんて全く、PCも多少Excelが使える程度のぼくでしたがいきなりそんな重役を任されたんです。
「ぼくがいきなりそんな役職で入っても、反感とか生まれないんですか?」と聞くと「そんな見当違いなこと言う人、うちにはひとりもいないよ」と言われました。
少し不安でしたが、社長さんの言うとおり、そんなことを言う社員さんはひとりもいませんでした。
6名ほどの小さな会社でしたが、ぼくにとってはものすごく新鮮で、毎日が楽しくて、自分の事業なんてまたそのうちやればいいかとなってしまうほど、可能性を感じる空間でした。なぜならここには、頼もしい仲間がいるからです。
営業!勉強!営業!勉強!
とは言うものの参画した当初は「あれ?ぼく何をやればいいの?」状態でやっぱり仕事面での不安はありました。
それでも自分のバリューを出していこうと、社長と一緒に営業に行ったり、時にはひとりで営業に行っていました。
そして帰ってきたらひっそりとphotoshopの勉強をし、少しずつフロントエンドの知識も付けていきました。
そんな生活を1ヶ月も続けていると、徐々に結果も出せるようになり、ぼくのスケジュール帳はびっしりとアポの予定で埋め尽くされていました。
簡単な加工も少しずつなら手伝えるようになったり、仲間と一緒に築いていく仕事の楽しさをここで知りました。
ブレーキになってほしいと言われた
基本的には社長さんと一緒に動くことが多かったので、お互いの思考を重ねることが必然的に増えました。
いつものようにこんな手法でアプローチできないか、こんなスモールビジネスを築いたらどうか、など仕事の話をしていると「ぶんたくんに役員になってもらったのには理由があるんだ。ぼくのブレーキになってほしい」そう言われました。
ぼくはいまいち意味を理解できないまま「まあ、なにかあったら止めますね」と答えました。
一流の経営者は自分や他人の管理をするのではなく、自分を管理してくれる人に自分自身の管理を任せるんだそうです。
もっとこの意味を理解し、本質的に対策を考えられていたら。今でもそう思います。
社内マネジメントへ尽力
仕事が想像以上に取れていたのですが、そのせいで一人あたりの作業に偏りが出るようになりました。
社員ごとのスキルが案件の量に上手く噛み合っていなかったのです。
この事態から、個々のスキルアップを兼ね顧客とのヒアリングやデザインの出来るコーダー、コーディングの出来るカメラマン・ライターを育成していく事になりました。
このプロジェクトに身を乗り出したのがぼくでした。
営業はやれば取れることがわかり自信もついたので、しばらくは社内のマネジメントと管理に勤しむことにしました。
今までにないことをすれば誰しも時間がかかりますし、色々とストレスも生まれていきます。
それを解消しつつ、個々の仕事のタスク管理をするのがぼくの役目です。
この時は自由な発想が本当に活かされました。
週に1日それぞれ好きなカフェで仕事をしたり、社内に駄菓子屋さんを開設したり、鍋を食べながら仕事をする会を開催したり、とにかく挙げだしたらキリがないですが、楽しいことや面白いことを片っ端から社内に取り入れました。
それでいて、仕事とスキルアップの進捗管理はWBSとガントチャートを導入ししっかりと管理し、拘束時間は伸ばさずに生産性と能力を向上させる事に成功しました。
社外の動きは
このスキルアッププロジェクトは功を奏しましたが、ぼくは社内にばかり気を取られ、社長と二人でいる時間が圧倒的に減りました。
営業がひとりになったので案件は少し減りましたが、それでも仕事を切らすことはなく何も不安になることはありませんでした。
それでも規模感が少し大きくなっていたり、コンペの選考が多い案件が増えているのは気づいていましたが、「社長なら上手くやるだろう。今は社内のマネジメントに尽力し組織を強化しなくては」そんな気持ちでした。
この時感じた少しの違和感もぼくは気にかけておくべきでした。
不穏な流れ
最初に気づいたのはコーディングをメインで担当している社員でした。
「これは…ぼくだけでは無理ですね」
確定した案件はまず資料をザッと社員で確認してから、ぼくがガントチャートを組んでディレクションを行っていました。
今回は納期まで明らかに厳しい規模のCMSの構築4件が1セットとなった案件でした。確かにこれは…。それでももう確定してしまった案件です。
「みんなで、なんとか頑張りましょう」
社内のモチベーションを全力で鼓舞し、ぼくらは必死になって案件を消化しました。
予定の納期は少し伸ばして頂き、徹夜を何度かしながらも死に物狂いでやり遂げた時は全員得も言われぬ達成感に浸りました。
何かが狂いだす感覚
この期間、リーンスタートアップ的に立ち上げたいくつかの自社サービスのカスタマー対応を社長には任せていました。
しかし別のクライアントさんからテスターとして協力した案件はどうなっているのか?と促され、社長に声をかけると
「今月の流れ、テスターさん達には説明出来ていますか?」
「あー、まだだね。でも実は今度この会社と海外ビジネスで提携を結べそうでさあ!」
驚きました。
社長があれだけ熱心にやる気になっていた自社サービスにはさほどの興味も示していないかの様でした。
少し不思議に思いましたが、この時は「サポートしっかりおねがいしますね」と念を押し終えました。
この辺りから明らかに何かが狂い始めていました。
深刻なキャッシュフロー難
この頃、昔のような小型の案件はほぼありませんでした。納期が長めの今までに比べると大きな規模の案件ばかり。
どれも支払いが確定するまでの期間が非常に長く、社長の考案した新しい事業やサービスへの出資も重なり、キャッシュフローは最悪でした。
ぼく自身、自分の役員報酬を10万まで下げ、移動や打ち合わせの経費はその10万円の中から支払っていました。
この頃はまだ実家ぐらしだったおかげで助かりましたが、それでも毎月まともに使えるのは5,000円程でした。
実は前々から、やたらと自社サービスを展開したり、在庫を必要とするネットショップの開設が増えていたので、キャッシュフローの件は社長に伝えていたのですが、それでも知らぬ間に減っていたりというような状況でした。
「ブレーキ」の意味
社長の担当していた自社サービスのテスターさんからは余りにも進捗が遅すぎるとお叱りのメールを頂き、その他にもクライアントさんからいつになったらこの前の返答が来るんだ!!と怒りの電話もありました。
そんな中「新しいビジネスの話が来た!来月頭2週間位海外に行ってくるよ」とぼくの想いはそっちのけでどんどん手を広げていってしまう社長。
仕事はあるのにお金はない。クレームも多すぎる。ぼくはここにきてやっと「ブレーキ」の意味を理解したのです。
若手社長さんは興味があるものにはとことん熱心に動く人間でしたが、他に興味を上回るものが現れたら、それまでのものをすべて捨ててそちらにまた全力投球してしまうタイプでした。
もっと早く気づくべきでした。そしたらサポートに回れたかもしれない。
いや、たぶん気づいていたとは思います。見て見ぬふりでした。
社長だから、同じ役員だから、そういった根拠の無い期待と信頼がぼくの気持ちにベールをかけていました。
社員の能力をしっかりと測り、最適な判断を下してきたぼくは、本来もっと見なくてはいけない人から目を背けていました。マネジメントは失敗でした。
勝手な期待は自分に跳ね返ってくる。それをこの時実感しました。
今後の対策は…
キャッシュフロー難に陥った会社に社長が下した判断はぼくの予想を圧倒的に上回るところでした。
「カメラマンをクビにするしかないよ」
ぼくは物凄いショックを受けました。彼は何も悪くないんですよ。
いちばんのムードメーカーで社内を明るくしていたカメラマン。社内でも最年長で、赤ちゃんも生まれて家族もいるのに。
「…金策考えるとかそういうのはないんですか」
「そもそもいちばん仕事が出来てなかったし、家族連れだからって理由でいちばん給与も高めに設定してあるし。でもそれでしばらくはなんとかできるじゃん」
この人はなぜ悪びれもせずにそんなことが言えるのだろうか。
ぼくには本当にわかりませんでした。尊敬していた隣人は、ぼくには理解のできない言葉を羅列していました。
起業する、会社を持つ、役員になる。それは関わる人すべてに対して、いちばんは雇用する人たちに対して、責任を伴うことと同義だとぼくは思います。
カメラマンは社長が半年かけてとある企業からハンティングしてきた方でした。信じて一緒についてきてくれた人へこれでいいわけないだろうってぼくは思いました。
「この件については言いづらいから、ぶんちゃんよろしくね」
そう言って、まるで逃げるかのようにこの話は終わりました。
ぼくは必死に考えました。なにか。なにか良い方法はないか。
どうにかして数百万の借入を起こせないか。
クライアントの支払いサイトを早められないか。
そもそももう少し会社の規模とキャッシュフローにあった案件を復活させられないか。
なにかすぐにお金になるようなビジネスをできないか。
どの案もその場しのぎにしかならず、決断するのには遅すぎ、そしてぼくにはどうしようもありませんでした。
ぼくは社員を持つ取締役としてあまりにも未熟過ぎました。
ただの口だけ達者な18歳の若僧だったんです。
ぼくが自分の無力さを実感した日
「大丈夫だよ、ぶんちゃん。ごめんね、なにもできなくて」
二人しかいない会議室で、彼は笑ってそう言いました。
自分よりちょうど10歳年下の不甲斐ない取締役を目の前にしていつものように笑って言いました。
ぼくはどんな顔をしていたかよく覚えていません。きっと潤んだ目でどうしようもない顔をしていたと思います。
本当にもう、どうしようもなかったと思います。
その時抱いた感情をぼくは今でも忘れません。きっと一生。
ぼくの未熟さのせいで1人の人間の生活を変えてしまった。家族のいる人間の未来を。
これまで尽力してくれたその頑張りを踏みにじってしまった。
ぼくにはまだ全然足りませんでした。なにもかもが足りませんでした。
ぼくはもうこの失敗を絶対に起こさない
ぼくの今回の失敗は「社員をクビにしてしまったこと」ではありません。
「人(自分も含めて)を過信したこと、期待したこと」です。
結果としてクビにしてしまったり、キャッシュフローが回らなくなったり、様々な事案をもたらしました。たったひとつの要素が最悪の事態を呼び起こしました。
統率する側、軸となるものはそれだけ大事です。
方向性がしっかりしていないと、悪い結果しか生めないんです。
どれだけ早い段階で振り返り、気づき、そして軌道修正できるかが起業家には求められます。それは組織の大きさに関わらず最も重要なことです。
今回は「人を過信した」つまりしっかりと現状を把握することが出来なかったのが、事態を招きました。
ぼくはもう二度と社員をクビにしたりなんて真似はしたくありません。絶対に。相手も辛いし、何より自分も辛いからです。
もっと自分がしっかりしていればそんなことせずにすんだんです。
経営が失敗して社員をクビにするなんて本当に経営者として失格です。
今回の話、ぼくは思い出すだけで胸が締め付けられるように痛くなります。
今はこの会社の取締役は辞職したのですが、会社について考えただけですぐに思い出してしまうんですけどね。
そのくらいぼくのこれまでとこれからの起業人生の中で大きな出来事でした。トラウマ、ですね。
でも、負った傷が大きいから、ぼくはもう二度とこんな失敗を犯さないと誓うことができるんです。
後日談
社員を辞めさせたショックで全てを放棄した自分が復活するまでを淡々と語る
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