誰かの幸せを追う人生は、もう辞めた。 | いつまでもアフタースクール
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誰かの幸せを追う人生は、もう辞めた。

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「若い人の支援とかしたいんですよねー」 「僕みたいに悩んでた人に人生の選択肢を示せたらなって」 「別に学歴なくても生きていけるんだよって励ましになれたらいいなって思うんです」 何を隠そうこれは全部僕の言葉だ。 このブログを始めるキッカケや、今僕が高知にいる理由の1つでもある。   でも最近自分と向き合う時間が増えたおかげで僕はこんな綺麗事ばかりの人間じゃないってやっと認めることができた。 今日はそんな話です。

誰かを助けたいと思うようにしてきた

今までずっと「自分は中卒でも頑張ってこれたんだから、もっと周りの同年代で困っている人を助けられるようなそんなことがしたい」そう思っていました。 こういうことを言うと、 「まだ君だって若いのにそんなことを考えられるなんて立派だねえ」 とよく言われるんです。 僕はもしかしたらそれがとても嬉しかったのかもしれません。   偶然にもブログをやり始めてから色んな人の相談を受けるようになりました。 元々そういった僕の思いを、つまり若者にもっと色々な人生の選択肢を示せるような、そんなブログを書きたいなと思って始めたんです。 だから今まで以上に多くの人から相談を受けたりするのは始めた当初の目的からするととても嬉しいことでした。

綺麗事を言うために自分の時間を他人に使ってきた

ただ、相談を受けたところで変わる人はごくわずか。 これは僕自身もそうでしたし、わかってはいたものの、総量が増えることでより一層浮き彫りになった無駄なアドバイスの時間や無駄な会話の時間は僕の生活をどんどん蝕んでいくように思いました。   そんな時間に自分の時間を奪われ、結局僕自身は何がしたかったんだと最近思うようになったのですが、たぶん綺麗事を言いたいだけだったのかなと思います。 高地に来てから人と会う時間が減ったことで、人との関わり方が衰え、できるだけ接触の回数を減らすようになり、マトモに会話をできる気もしなくなり、というか別に話さなくてもいいんじゃねと思うようになり、その分自分と目一杯話し込むようになった結果、僕はやっぱり自分の成長から逃げていたんだなと実感しました。 他人の時間に自分の時間を勝手に割いて、自分からは目を背けて何がしたいのかも明確にならないまま日々を過ごす。 そんな生活をしてきたように思います。   ベンチャー企業で例えるとしましょう。 上場やバイアウトを狙っているベンチャー企業はあからさまな大衆受けするような大義名分を掲げてサービスの拡大に邁進しますが、社長や役員格はゴールした時の莫大なストックオプション目掛けて進んでいるケースは多いです。 僕はこういうの好きなんですが、表立ってはすごくそれっぽいこと言ってるのだけれど、会社のトップはどうやってサービスを売却しようか。金を手に入れようかみたいなことばかり考えてる。そんなことってわりとよくある話なのに、この貪欲さが僕には足りないように思いました。 彼らみたいにアイデアが湧くわけでもそういった仕事ができるとも思ったことはありませんが、なぜか彼らのような大義名分だけ掲げて、内面は疎かになっていたように思います。   まあ、そんなことを続けているからいつまで経っても「お金は別にそんなにいらないしなー」と思い込むようにしていたのかもしれません。 僕は昔からあまりお金はいらない派で、それよりも楽しいことや興味のあること、面白いことができればいいというタイプだったのですが、最近その考え方は根本的に間違っているんじゃないかと思いました。 だって世の中のもっと面白いことや楽しいことはお金を注ぎ込めば注ぎ込むほど増えていくのですから。 要するに娯楽や楽しいこと(ビジネスも然り)は、みんなが夢中でやっているスマホのゲームと同じで、かなりの重課金モデルなんです。 だからお金がなくてもいいやって言ってるのはある意味やせ我慢と一緒で、明らかに面倒くさいステージも「課金しないで頑張るぜ!」みたいな意地を張っている人と変わらないと思うのです。 もっと言えば、特に興味は無いけれど時間つぶしのために無料の漫画アプリを読むことと何ら変わりはないんじゃないかって思ったんですね。 ええ、僕もよくやります。あれは完全に時間の無駄ですね。有限で貴重な時間を潰すために無駄に時間を使うってもう意味がわかりませんし、これ書いている今もはてなマークが浮かんでます。

誰かの幸せも大事だが最優先は自分の幸せだ

で、話を戻すというか結論として僕が何を言いたいかと言うと、自分と向き合った結果、もちろん誰かのためになれるのはすごくすごく嬉しいんだけれど、それよりも自分のために動く方がものすごく有意義だなって最近気づきました。 親だろうが友達だろうが自分以外は赤の他人です。 だったら、変に入れ込まずに、期待せずに自分をグレードアップさせる方がよっぽど有意義だし、結果としてその行動が周りのためにもなるんじゃないでしょうか。 周りの誰か、友達、親戚、親が幸せになるよりも自分自身が幸せになる方がよっぽど価値あることだと思うんです、自分にとってね。これはもちろん僕以外のみなさんも同じ。 「ここは俺がなんとかするから先に行け!」 みたいなこと言ってやられう漫画のキャラクターいますけど、自分の幸せよりも誰かの幸せを優先する人はああいうのと同じくらいもったいない人生の使い方をしてしまうと思うんです。 だから自分の存在意義や行動指針を他人が絡むようなものにしないほうが良いんだろうなと今回考えていて思いました。 話がうまくまとまりませんがスッキリしたので終わりです。 要するに綺麗事ばっか言ってる以前の僕みたいなやつはもっと自分の気持ち悪いくらいの欲望と向き合うとハッと気づけることがあるよって話です。