22年間住んでいた東京を去り高知に移住しました。 | いつまでもアフタースクール
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22年間住んでいた東京を去り高知に移住しました。

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こんにちはぶんたです。

表題の通りですが、高知に移住しました〜。

いえーい。

「今さら高知…」

とか思うネットユーザーもいるかと思いますが、ぼくの考えてることとか報告がてら書いていこうかと思います。

 

22年間の東京生活

生まれも育ちも東京なぼくですが、都会っ子ってわけではなく、東京の中でも郊外の東京です。

だから未だに、

「新宿で待ち合わせ!?は!?どこ!?」

「渋谷マジで迷うから行きたくない…」

「六本木お洒落すぎワロタ」

とかブツブツ呟いてるくらいは東京に住んでる割に東京っぽさのないメンズです。

 

とは言っても別に東京を使いこなせていない(だいぶ変な言い回しですがぼくはツールとして東京を感じています)訳ではなく、しっかりと恩恵にあやかりながらこの22年間、生きてきました。

 

便利で、何でもあって、食べ物は美味しくて、誰とでも会えて、レジャースポットもある大都会東京がぼくは大好きでした。

それと同時に押し潰されそうな消えることのない不安と、幼い頃から戦ってきました。

 

東京でやってきたこと

ぼくは東京にいたおかげで芸能界に入ることもできたんでしょうし、東京にいたおかげで、地方よりも少しだけ早い流行を追いかけながら、学生を謳歌できたんだと思います。

起業してからも、数え切れないくらいの人と出会い、たくさんの紹介を受けて様々な事業に携わらせていただきました。

これができたのも東京ならではなんじゃないかとぼくは思っています。

 

ただ、これら全てがぼくにとって良い方向に作用したかと言うとそういうわけでもなく、東京は底が見えず、上も見えず、そして見えない力が働いても感知できないくらいには真っ暗な場所だと思います。

ぼくが何を思いどんな行動をしようとも、永遠に大きな東京という集団の中で喚いているだけで、想像もできないレベルの大きなことをしない限りは、どんなに頑張っても成果が出てるのかすらわからない。

相対評価の対象としては正直お手上げなくらいの化物がウヨウヨいる。

そんなアンダーグラウンド東京でした。

 

東京で、ぼくは新設高校の初代生徒会長を務めました。

その高校を卒業7日前に中退し、300万以上の借り入れを興し、起業しました。

WEB制作会社には役員として参画し、マネジメントや組織とは何かを学びました。

役員を辞任し、最初に立ち上げた会社も事業毎売却し、仕事と責任の難しさを実感しました。

発想や業務改革の手腕を見込まれ企業からコンサル依頼を貰えるようになりました。

ブログを始め、同年代の友人がやっと出来ました。

 

こういった少し変わったストーリーも、東京ではありふれたもので、誰かと比べてしまえば悔しさも浮かばないくらいには「普通」になってしまう。

それを理解するほど「ぼくが東京でやってきたことは何だったんだろう」と思ってしまうんです。

マイノリティになろうとしても次から次へとありえないレベルの化物が出てくる。

「このまま終わってしまうのかな…」と事業が安定してきた一昨年の12月、ふと感じたんです。

 

変われない自分が変えれる場所を見つけた

仕事は安定している。拡大もできそう。収入も申し分ない。

なのになぜか納得できない。

このままでいいのか。でも変われる予兆はない。

今まで通り、行動力のままに動いていても何も変わらない。

 

そんなことは嫌というほどわかっていました。

わかっていても、解決策は見つからないまま時間が経っていきました。

 

そんな時、何かが変わるかも、何かを変えれるかもと思い始めたブログを通して、去年の8月旅行に行ったんですよね。

ブロガーさんに会いに行く旅行だったんですが、そこがぼくのもやもやを消すきっかけとなったんです。

 

場所は岡山県の真庭。

数時間に1本の汽車に乗って辿り着いたその地は、いわゆる田舎で、東京をほとんど出たことのないぼくにとって、夢物語のような景色です。

真庭には千葉からギークハウス真庭の管理人として移住したヒラノさんに呼ばれたのですが、着いてすぐに地元の人たちで賑わう割烹に招待されました。

割烹には偶然にも、割烹の主人だけでなく、他の移住者、終いには市議会議員さんまで集まってプチ宴会となりました。

そしてこの割烹での時がぼくにとって大きな刺激になったんです。

 

割烹に集まった人は年齢もバックグラウンドも違えど、ひとえに「地元真庭を活性化したい」という想いに溢れていました。

東京ではそんなこと聞いたこともないし、見たこともありません。

真剣に人口の減ってしまった地元の今後を考えているんです。

よそ者のぼくにもネットを使ってどうすればいいか。どんな手段なら若い人を呼べるかなどを真剣に聞いてくるんですよ。

「何かできないか」と思いました。それに「何かできる」とも思いました。

 

田舎なら何かが変われる。そして田舎なら何かを大きく変えれる。

そう実感した真庭での時間でした。

 

何ができるかはわからない。でも何かをしに来た。

そんなこんなで紆余曲折ありやってきた高知。

高知には以前からお知り合いだった矢野大地さんからのオファーもあり移住してきました。

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▲住む場所は標高700mの山の中。これ雲海。

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平屋+2階建ての家(?)、あと土地がめちゃくちゃあります。

そんな場所を縁あってお借りすることができました。

 

正直何ができるかはまだわかりません。

でもとりあえず行ってみようと思ったんです。

真庭で感じたあの感覚を高知ではさらに感じることができたからです。

 

ぼくはこの地で自分自身の力もさらに付けていきたいし、この地の産業を変えていく手伝いもしたいし、NPO法人ONEれいほくを通して若い人達にしかできないこともどんどんやっていきたい。

そのために拠点を置き、思い切って移住してみたんです。

 

まだ明日の予定もわかりませんけど、でも何かをするんです。

何かをしに来たんですから。

 

今後の動きとかそういうの

そんなわけで高知に1つ拠点を設けました。

今後はこの地を中心に活動していきます。

自分で言うのもなんですが割と適応力はある方なので、なんとかやっていけるとは思っています笑

 

東京でのコンサル事業は継続していて、常駐している社員とは日々連絡を取ってマネジメントを続けています。

取引先との打ち合わせもありますし、今のところ月に1週間くらいは東京にいる予定。

あ、ちなみに5月は20~28日は東京います。27日は全く声をかけられていない高校の同窓会に参加します。ごめんなさい勝手に行って。

たぶんハイパーリバ邸にいるので、もし良かったらお酒でも一緒に飲んであげてください。

 

今年はやりたいことというかやることをいくつか決めているので達成のためにそちらも淡々と頑張っていこうと思います。

田舎は遊びに行く誘惑も無いのでね。修行しますぜ。

 

最後にひとつ

ここまで書いておいてアレですが、割と寂しいです。

不安はあまりありませんし、むしろワクワクしていますが、残念ながら寂しいです。

ちくしょう。

なので、もし良かったら高知に遊びに来てください。歓迎しますよ!

ちなみにこれガチほしい物リストですので良かったらm(_ _)m

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